思い出2

2004年3月25日
1999年11月21日有明コロシアム。
桜庭和志が日本人として初の「グレイシー越え」を果たした。

最後の切り札だった。
桜庭が勝てなければ誰もグレイシーには勝てないだろうという雰囲気だった。
今現在の総合格闘技人気があるのもこの試合で桜庭が勝ったおかげと言えるかもしれない。
カーロス・ニュートン、ビクトー・ベウフォート、エベンゼール・フォンテス・ブラガ等強敵を倒してきた桜庭がわずか66キロのホイラー・グレイシーに負けてしまうと、見る側としては興味が薄れてしまう。
しかし、ホイラーは技術では兄ヒクソン・グレイシーを上回るともいわれる強豪だ。
期待と不安の入り混じった空気の中でメインが始まった。
寝技対決になると思われていたが、桜庭はホイラーの寝技に一切付き合わず、スタンドからのローキックを中心とした打撃勝負を仕掛けた。
あまり打撃の練習はしないという桜庭だがその「当て感」は素晴らしく、寝技に持ち込めないホイラーの足はみるみるうちにその色を変えていった。
桜庭のローキックに合わせて会場からは「ウォーイ」という野太い掛声がかかり、試合は予想外に一方的な展開になっていった。

時間切れの場合は判定は行わずドローとなるこの試合、残り時間が少なくなるにつれ会場は
「はやく決めてくれ」
という空気につつまれはじめた。
試合終了の約3分前、桜庭はホイラーをアームロックにとらえた。
会場からは「折れ」「折れ」の声一色。
セコンドの高田もそういう指示をしている。
ホイラーが悲鳴をあげる。
ドクターがセコンドのヒクソンに試合を止めるように伝えるが、ヒクソンはこれを拒否。
ホイラーがまた悲鳴をあげたところでレフェリーが試合をストップ。
桜庭の勝利となった。
大歓声。
私は自然に隣の友人と握手をしていた。

この後桜庭は大ブレイクする。
テレビにCMにと引っ張りだこ。
ここ1,2年は精彩を欠いているが、桜庭のおかげで現在のような総合格闘技ブームがおとずれたと思っているので、彼には感謝の言葉しかない。
残り少ないであろう桜庭の現役生活をこれからもじっくり見ていきたいと思う。

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